尼崎に、一度この世から消えた芋があります。
名前は尼藷(あまいも)。江戸時代から昭和のはじめまで、大阪や京都の料亭に高値で買われていたブランドのさつまいもです。
その尼いもが、2度の台風で絶滅しました。そして50年後、市民の手で蘇ります。
この記事でわかること
- 尼いもがどんな芋で、いつから作られていたか
- なぜ絶滅したのか(室戸台風とジェーン台風)
- どうやって復活したのか(茨城で見つかった種芋)
- 今の尼いもはどんな味なのか、正直なところ
- 尼いもを味わう3つの方法
尼いもとは|京阪神の料亭に出荷されたブランド芋
尼いもは、細長い形で甘みの強いさつまいもです。
栽培が始まったのは江戸時代の1789年から1801年ごろ。場所は現在の尼崎市南部、初島や両新田といった臨海の新田地帯でした。
なぜその土地だったのか
新田は、海を埋め立ててつくられた土地です。小石が混じり、水はけがよく乾いていました。稲作には向きません。ところがさつまいもには、この条件が合ったのです。
米が作れない土地から、高く売れる芋が生まれた。尼いもは、土地の弱点を強みに変えた作物でした。
料亭が買い、地蔵盆に供えられた
尼いもは京阪神の料亭に数多く出荷されました。単なる庶民の食料ではなく、値段のつく特産品だったわけです。
同時に、地蔵盆の供え物としても使われました。商品であり、祭りの道具でもあった。土地の暮らしに二重に食い込んでいた作物です。
なぜ絶滅したのか|2度の台風と高潮
尼いもを滅ぼしたのは、2度の台風でした。
- 昭和9年(1934年)室戸台風 — 高潮により畑が損壊
- 昭和25年(1950年)ジェーン台風 — 再びの浸水で、尼いもは絶滅
海沿いの新田という立地が、そのまま弱点になりました。乾いた土が芋を育てたのに、海水がその土を奪ったのです。
1度目の打撃から立ち直りかけたところに、2度目が来ました。16年の間隔は、農家が諦めるには十分な長さだったのかもしれません。
この時期の尼崎は、工業化が一気に進んだ時代でもあります。農地そのものが減っていきました。台風は引き金であって、背景には街の構造変化があったとも言えます。
50年後の復活|茨城で見つかった種芋
尼いもが動き出したのは2000年です。
きっかけは「甘くておいしい尼いもをもう一度口にしたい」という市民の声でした。尼崎公害患者・家族の会が、「尼崎市南部再生プラン」の一環として復興プロジェクトを立ち上げます。
ここが尼いもの物語の面白いところです。行政や企業が主導したのではなく、公害と向き合ってきた市民団体が、街の再生の手段として芋を選びました。
種芋はどこにあったのか
絶滅した作物を復活させるには、種が要ります。
探索の結果、種芋は茨城県の農業研究センターで見つかりました。尼崎から500km以上離れた場所に、記録として保存されていたわけです。
試験栽培を経て、2001年に「尼いもクラブ」が設立されます。絶滅から51年後のことでした。
今は誰が作っているのか
現在は市内の農業者でつくる尼崎伝統野菜部会が栽培しています。小学校や幼稚園でも栽培の授業が行われ、子どもたちが土に触れる教材にもなりました。
収穫は市民ボランティアの手も借りて行われます。ある年には20人がかりで5日間を要したと記録されています。
今の尼いもはどんな味?|正直に書きます
期待を裏切るかもしれない話をします。
あまがさき観光局は、復活した尼いもについてこう説明しています。鳴門金時やシルクスイートのような甘さや食感は、復活した尼いもにはない、と。
戦前の記録には「とても甘くておいしかった」とあります。しかし現代の品種改良されたさつまいもと並べたとき、同じ土俵で戦える味ではないということです。
公式の観光サイトが、自分たちの特産品についてここまで正直に書いている。この姿勢自体が信用できると私は思いました。
尼いもの価値は、糖度ではありません。一度失われたものが戻ってきたという事実にあります。食べ物としてより、街の記憶として味わうものです。
尼いもを味わう3つの方法
生の尼いもは市場にほとんど出ません。加工品で味わうのが現実的です。
- 芋焼酎「尼の雫」 — 尼いもだけで作った焼酎。720ml
- 尼いものつるの炊いたん — 芋ではなく「つる」を炊いた総菜。通常版とピリ辛がある
- 尼いもごはんの素 — 2〜3合用の炊き込みごはんの素
ほかに尼いもクッキーやビスコッティもあり、いずれも「尼みやげ」に認証されています。
購入場所はあまがさき観光案内所が中心です。ただし土日祝は休みなので、平日に訪ねてください。価格は変動しますので、最新の情報は販売元でご確認ください。
👉 お土産全体の選び方はこちら:尼崎のお土産に迷ったら|公式認定「尼みやげ」61品の選び方3基準
👉 あまがさき観光局|尼崎の伝統野菜「尼いも」をご存じでしょうか?
まとめ|絶滅した芋が戻ってきた街
尼いもの歩みを振り返ります。
- 江戸時代(1789年ごろ)、尼崎南部の新田で栽培が始まる
- 京阪神の料亭に高値で出荷されるブランド芋になる
- 昭和9年の室戸台風、昭和25年のジェーン台風で絶滅
- 2000年、市民団体が復興プロジェクトを開始
- 茨城県で種芋が見つかり、2001年に尼いもクラブ設立
- 現在は伝統野菜部会が栽培し、焼酎や総菜になっている
絶滅から復活まで51年。これを成し遂げたのが行政ではなく市民だったという点に、尼崎という街の性格が出ています。
尼崎のほかの伝統野菜については、こちらでまとめています。
👉 尼崎に名産品はない?公式認定の伝統野菜4種と尼みやげ61品
※この記事は尼崎市公式サイト、あまがさき観光局、尼崎商工会議所の公開情報をもとに構成しています。