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田能の里芋とは?農家1軒まで減った尼崎の伝統野菜が4千株に戻るまで

尼崎の伝統野菜 田能の里芋 農家1軒から4千株へ

里芋の皮をむくと手がかゆくなる。多くの人が知っている、あの不快感です。

ところが尼崎には、皮をむいても手がかゆくなりにくい里芋があります。名前は田能の里芋。市が認定する伝統野菜のひとつです。

この里芋、25年ほど前には栽培する農家がたった1軒まで減っていました。消える寸前だったのです。

この記事でわかること

  • 田能の里芋がなぜ手をかゆくさせないのか
  • 江戸時代、猪名川の岸辺に自生していたという出自
  • 農家1軒まで減った本当の理由(3つあります)
  • 市民団体が約4千株まで戻した経緯
  • どこで買えるのか

田能の里芋とは|皮をむいても手がかゆくなりにくい

田能の里芋の特徴は、はっきりしています。

  • 色が白い
  • もっちりとした強い粘りがある
  • うまみが濃い
  • 皮をむいても手がかゆくなりにくい

なぜかゆくならないのか

理由は成分にあります。田能の里芋は、かゆみの原因となる成分が少ない品種なのです。

一般的な里芋のかゆみは、シュウ酸カルシウムの針状結晶が皮膚を刺激することで起こります。田能の里芋はその刺激が弱い。下ごしらえの負担が軽いという、地味ですが日常的にありがたい性質です。

猪名川の岸辺に自生していた

出自も変わっています。田能の里芋は、もともと猪名川の岸辺に自生していた在来種で、江戸時代から栽培されてきたと伝わります。

誰かが品種改良して生み出したのではなく、川べりに生えていたものを人が育て始めた。尼崎北部の田能という土地と、猪名川の水が育てた芋です。

調理では、ねっとりした子芋とホクホクした親芋で食感が違います。両方を使うと、ふわっとした優しい甘みが出ると評されています。


なぜ農家1軒まで減ったのか|商品にしにくい3つの理由

これだけ良い性質を持ちながら、田能の里芋はほぼ消えかけました。理由は味ではなく、つくりにくさにあります。

  • 栽培期間が長く、稲の裏作にできない — 田んぼを回して使えない
  • 連作できず、数年ごとに畑を移す必要がある — 余分な農地が要る
  • 戦後の農地減少 — 尼崎の畑そのものが減っていった

3つが重なると、結論はひとつになります。売り物にならない。

そのため田能の里芋は、農家が自分の家で食べる分だけをわずかに栽培する状態に追い込まれました。そして25年ほど前、つくる農家は1軒だけになります。

尼崎のもうひとつの伝統野菜である一寸ソラマメも、連作できないことが衰退の一因でした。都市化した土地で伝統野菜を守る難しさは、ここに集約されています。

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2000年、市民団体が動いた|種芋オーナー制度で約4千株へ

転機は2000年です。市民団体「自然と文化の森協会」が、田能の里芋の保存と継承に取り組み始めました。

種芋オーナーという仕組み

協会は、生産農家の安立久志さんを中心に種芋オーナーを増やす方法をとりました。栽培する人そのものを増やすやり方です。

連作できない作物を増やすには、畑の数を増やすしかありません。1軒の農家が頑張るのではなく、栽培の担い手を分散させる。理にかなった解決策でした。

今は約4千株

その結果、現在は3団体が市内5〜6カ所で約4千株を育てるまでになりました。農家1軒からの再出発です。

尼いもは絶滅してから茨城県で種芋を探すことになりました。田能の里芋は、絶滅する前に人を増やして守った。同じ尼崎の伝統野菜でも、守り方が対照的です。


給食に110キロ、そしてコロッケへ

田能の里芋は、食べる人の裾野も広がっています。

小学校給食に初めて登場した年には、協会が用意した110キロが献立に使われました。地元の子どもが地元の伝統野菜を食べる。保存活動としては理想的な形です。

2023年には商品開発も動きました。関西国際大、甲南大、摂南大の学生が試作品の味を確認し、豊中市の合同食品が無添加コロッケを開発しています。地域食堂を運営する高齢者も有償ボランティアとして参加しました。

大学生、食品会社、高齢者、農家。ひとつの里芋をめぐって、これだけ異なる立場の人が動いているわけです。


田能の里芋はどこで買える?

流通量は多くありませんが、購入の機会はあります。

  • コープこうべ
  • イオン
  • JR尼崎駅構内の特設店舗

いずれも秋の収穫期が中心です。里芋の旬は秋から冬にかけて。今まさにその季節が近づいています。

※販売場所や時期は年によって変わります。見かけたら買う、くらいの心構えが現実的です。


弥生時代から人が耕していた土地、田能

最後に、田能という地名について触れておきます。

尼崎市北部の田能には、国指定史跡の田能遺跡があります。弥生時代の集落跡で、そこで人々が暮らし、農耕を行っていたことがわかっています。

猪名川のほとりで、2000年以上前から人が作物を育ててきた土地。その同じ場所で、川べりに自生していた里芋が江戸時代から受け継がれ、今も守られている。

田能の里芋は、単なる珍しい野菜ではありません。この土地の農耕の連続性を示す生き証人だと言えます。


まとめ|1軒から4千株へ

  • 田能の里芋は色白でもっちりし、皮をむいても手がかゆくなりにくい
  • 猪名川の岸辺に自生していた在来種で、江戸時代から栽培されてきた
  • 栽培期間が長く連作もできないため、商品化が難しかった
  • 25年ほど前には栽培農家が1軒だけに
  • 2000年から自然と文化の森協会が保存活動を開始
  • 種芋オーナーを増やし、現在は3団体が約4千株を栽培
  • 給食やコロッケなど、食べる機会も広がっている

手がかゆくならない里芋という小さな特徴の裏に、消えかけた作物を人の手で引き戻した25年があります。

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※この記事は尼崎市公式サイト、神戸新聞、尼崎経済新聞などの公開情報をもとに構成しています。

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