大庄小学校の西門前を通った時、昔の記憶と今の景色が重なりました。
僕の記憶では、この場所には同級生のお母さんが営んでいた美容室がありました。
ところが、50年後の今、そこに立っていたのはボクシングジムでした。
「ここ、美容室やったよなぁ」
そう思いながら建物を眺めていると、子どもの頃の通学路や友達の顔まで、少しずつ浮かんできました。
前回は、母園だった大庄幼稚園の跡を訪ねました。今回は、そのすぐ近くに残っていた別の記憶をたどります。

大庄小学校の西門前にあった美容室
大庄小学校に通っていた頃、西門前には美容室がありました。
同級生のお母さんがしていた店です。
店の名前や建物の細かな形までは、もうはっきり思い出せません。
それでも、「西門の前に、友達のお母さんの美容室があった」という位置の記憶は残っています。
学校の門、向かいの道、並んでいた建物。そうした景色が、頭の中ではひとまとまりになっています。
子どもの頃は、そこが特別な場所だとは思っていませんでした。毎日の生活の中にある、ごく普通の町の景色だったからです。
50年後、そこにはボクシングジムがあった
今回、タートル号で西門前を訪ねると、記憶の中の美容室はありませんでした。
その場所には白い建物があり、ボクシングジムになっています。
美容室とボクシングジム。
同じ場所なのに、使われ方も雰囲気もまったく違います。
昔の景色を知っている僕には「美容室があった場所」。今この辺りを歩く人には「ボクシングジムのある場所」です。
町は、建物が変わるたびに新しい記憶を重ねていくのだと思います。
場所は同じでも、人によって見える景色が違う
同じ場所を見ても、そこから思い出すことは人によって違います。
僕にとっては、同級生とそのお母さんにつながる場所。
ボクシングジムに通う人にとっては、練習に励んだり、仲間と出会ったりする現在進行形の場所でしょう。
一つの住所、一つの建物にも、時代ごとに違う物語が積み重なっていきます。
町の変化は、昔の思い出を消すだけではありません。新しい人の記憶が始まることでもあります。
美容室から、友達の記憶が戻ってくる
今回、この場所を見たことで、建物だけでなく同級生のことも思い出しました。
誰と遊んだのか。どの道を歩いたのか。学校から帰る時に何を話していたのか。
全部を鮮明に思い出せるわけではありません。
それでも「美容室」という一つの言葉が、別の記憶を引き出す入口になります。
自分史を作る時は、立派な出来事を探さなくてもいいのでしょう。
近所の店。学校の門。友達の家。毎日通った道。
そんな小さな目印から始めると、自分にしか書けない時間が見えてきます。
タートル号で、昔と今の間を走る
昔の町を歩く時、僕の相棒はタートル号です。
自転車なら、気になる場所で止まり、少し戻り、細い道にも入れます。
車では通り過ぎてしまう景色も、自転車ならゆっくり見ることができます。

昔の美容室を思い浮かべながら、今のボクシングジムを見る。
過去と現在の間を行ったり来たりできるのが、この町歩きの面白さです。
記憶は、正確さだけがすべてではない
今回書いている美容室のことは、僕自身の記憶をもとにしています。
店の名前や営業していた年代など、資料で確認できていない部分もあります。
だからこそ、今後、昔の住宅地図や写真を見たり、当時を知る人の話を聞いたりして、少しずつ確かめていきたいと思います。
最初から完璧でなくても、まず自分が覚えていることを書いておく。
そして新しいことが分かれば、あとから加えていく。
それも、町と一緒に育っていく自分史の形だと思います。
あなたの記憶の店は、今どうなっていますか?
子どもの頃によく見た店。
友達の家の近くにあった店。
学校帰りに立ち寄った店。
今、その場所には何があるでしょうか。
建物が変わっていても、現地に立てば、忘れていた人や会話を思い出すかもしれません。
あなたも、記憶に残る店を一つ訪ねてみませんか?