タートル号に乗って、昔の大庄を走っている。
50年前、自分が中学生だった頃の景色を思い出しながら、今の街と見比べていく。
不思議なもので、家にいて考えているだけでは思い出せないことが、実際にその場所へ行くと急に頭の中によみがえってくる。
今回もそうだった。
目の前に見えてきたのは、昔から見覚えのある農協だった。
「おお、ここはまだあるやん」
少し安心した。
ところが、その周辺を見ているうちに、何かがおかしいことに気づいた。
そうや。ここには市役所の支所があったはずや。
そして、もう一つ。
写真を見ながら記憶をたどっていると、さらに昔の景色が戻ってきた。
僕の記憶では、支所の向かい側に保健所があった。
あれから50年。農協は残っていた。でも、市役所の支所も保健所も、姿を消していた。
農協は今も同じ場所にあった

まず目に入ったのが、現在のJA兵庫六甲 大庄支店。
建物そのものは当然、昔とは変わっていると思う。それでも、「ここに農協がある」という位置関係は、僕の記憶とつながった。
昔の街を歩いていると、こういう「今も残っているもの」に出会うだけで妙にうれしくなる。
50年も経てば、町並みが変わるのは当たり前だ。店がなくなったり、道路が変わったり、建物が建て替わったりする。
だからこそ、昔と同じ場所に同じ役割の施設が残っていると、「まだここは覚えてるで」と街のほうから声をかけられたような気になる。
でも、農協の北側にあった市役所の支所がない

農協を見て安心したのも束の間だった。
その北側へ目をやると、僕の記憶と景色が合わない。
僕の記憶では、昔このあたりには市役所の支所があった。
ところが現在は、住宅が並んでいる。
何も知らない人が今の景色だけを見れば、普通の住宅地にしか見えない。ここに市役所の支所があったと言われても、たぶん想像しにくいだろう。
僕自身も、「ここやったよな……」と少し自信が揺らぐ。
建物の形までははっきり思い出せない。けれど、この場所に市役所の支所があったという感覚は残っている。
50年という時間は、こういう記憶まで少しずつぼかしていく。
そうや。向かい側には保健所もあった
そして今回、一番面白かったのがここだ。
市役所の支所のことを思い出していたら、突然もう一つ記憶が出てきた。
「そうや。向かい側に保健所があったぞ」
自分でも驚いた。家で昔の大庄について考えていた時には、保健所のことなど思い出していなかった。
ところが現地の写真を見ているうちに、急に記憶がつながった。
僕の記憶では、支所の向かい側に保健所があった。
そして、その場所も今は住宅地になっている。昔この一角にあったと記憶している行政関係の施設が、現在はかなり姿を変えている。
昔は、このあたりに行政施設が集まっていた
今になって考えると、当時この周辺には生活に関係する施設が集まっていたのだと思う。
農協があり、市役所の支所があり、僕の記憶では保健所もあった。
子どもの頃は、そんなことを意識したことはない。そこにあるのが当たり前だったからだ。
大人が何かの手続きに行ったり、相談に行ったりする場所が、生活圏の中に普通にあった。
今のようにインターネットで申請することもできない。スマートフォンもない。当然、オンライン手続きなど存在しない。
必要なことがあれば、人が窓口へ行く時代だった。だから地域の中に行政施設があることには、今以上に意味があったのかもしれない。
50年経つと、建物だけでなく街の役割も変わる
今回の場所を見て感じたのは、街の変化というのは単に建物が建て替わることではないということだ。
昔、人が用事をする場所だったところが、今は人が暮らす場所になっている。
僕の現地での記憶と確認では、市役所の支所があった場所も、保健所があったと記憶している場所も、現在は住宅地になっている。
土地そのものは同じでも、役割が全く変わっている。
街は一日で変わるわけではない。一つの建物がなくなり、また一つ別の建物ができる。その積み重ねを50年続けると、気がつけば昔とはまったく違う町並みになっている。
「なくなった場所」は、誰かが覚えていないと消えてしまう
今の住宅地だけを見て、「昔ここに何がありましたか?」と聞かれても、若い人には分からないだろう。
Googleマップを見ても、今の建物しか出てこない。古い資料を探せば記録は残っているかもしれない。
でも、日常の中で人が覚えていた記憶は、時間とともに消えていく。
だから今回のように、「ここに市役所の支所があった」「僕の記憶では、向かいに保健所があった」という記憶も、誰かが残しておかなければ、そのうち誰も知らなくなる。
歴史というほど大げさな話ではない。けれど、こういう小さな記憶の積み重ねが、その町で暮らした人たちの生活だったのだと思う。
現地へ行くと、忘れていたことまで思い出す

最初に思い出していたのは、「農協の北側に市役所の支所があった」ということだけだった。
でも現地の写真を見ているうちに、「そうや、向かいには保健所もあった」と、もう一つ記憶が出てきた。
これが「あれから50年」を始めて一番面白いところかもしれない。
最初から全部覚えているわけではない。今の街を歩く。写真を撮る。昔と見比べる。すると、忘れていた記憶が一つずつ出てくる。
まるで頭の中にしまい込んでいた古い引き出しを、順番に開けているような感覚だ。
あれから50年。街は変わった。でも記憶は残っている
農協は今もあった。市役所の支所はなくなった。僕の記憶にある保健所もなくなった。そして、その跡地には今、人が暮らしている。
50年前の僕がこの場所に立ったら、きっと驚くだろう。でも逆に、今の僕が50年前の景色を見ても、「そうや、こんなんやった」と思うはずだ。
これからもタートル号で、昔の生活圏を走ってみようと思う。
何か特別な観光地を探すわけではない。昔、そこに何があったのか。自分は何を見て、何を感じていたのか。
そんなことを思い出しながら、あれから50年の大庄を少しずつ掘り起こしていきたい。
この場所を覚えている方はいませんか?
僕の記憶では、農協の北側に市役所の支所があり、その向かい側に保健所がありました。
- 市役所の支所の正式な名前を覚えている
- 保健所の建物を覚えている
- いつ頃まであったか知っている
- 昔の写真を持っている
- 実際に利用したことがある
という方がいらっしゃれば、ぜひ教えてください。
僕一人の記憶には限界があります。でも、同じ時代を大庄で過ごした人たちの記憶を集めれば、50年前の街の姿をもう一度浮かび上がらせることができるかもしれません。
あれから50年。
浦島太郎になったつもりで、これからも今の大庄を走ってみます。