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出屋敷駅前の『あるもんで交換会』へ|踏切があったころから高架駅になった街の記憶

出屋敷駅前広場で開かれたリユース催しの様子

出屋敷駅前で「あるもんで交換会」という催しが開かれている。

そう市議から聞いて、一度行ってみようと思いました。

自転車で出屋敷駅前まで行ってみると、広場には衣類や雑貨などが並び、多くの人が集まっていました。さらに広場の一角では、ギターを持った人が歌っています。

子どもから大人まで、品物を見たり、音楽を聴いたりしながら楽しんでいました。

その光景を眺めているうちに、僕の中では現在の駅前と、子どものころに見た出屋敷周辺の風景が重なってきました。

自宅にあるものを、必要な人へつなぐ催し

僕が聞いた「あるもんで交換会」は、自宅にあるものを持ち寄り、必要なものと交換してもらう催しです。

まだ使えるけれど、自分の家では使わなくなったもの。それを捨てるのではなく、必要としている人へ渡していく。

会場には衣類を掛けたラックや、箱に入った雑貨などが並んでいました。子ども向けの品物もあり、家族で見て回る姿もありました。

出屋敷駅前広場で開かれたリユース催しの様子
衣類や雑貨が並び、多くの人でにぎわう出屋敷駅前広場

尼崎市は、関連する無料のリユース市を「あるもんで交歓会」と案内しています。「所有から共有へ」を掲げ、使われなくなった衣類、食器、文具、雑貨などを人から人へつなぐ取り組みです。

僕が出屋敷駅前で見た催しの正式名称、主催者、開催日は手元の写真だけでは確認できません。ただ、物を大切にしながら人が交流するという考え方は、会場の雰囲気からも伝わってきました。

広場がライブ会場になっていた

出屋敷駅前の広場では、交換品を見るだけではありませんでした。

ギターの弾き語りが行われ、周りには演奏を聴く人たちが集まっていました。品物を探す人、椅子に座って音楽を聴く人、子どもと一緒に歩く人。それぞれが自分なりの時間を過ごしています。

出屋敷駅前広場で行われたライブ演奏
広場ではギターの弾き語りも行われていました(人物の顔はプライバシー保護のため加工)

駅前の空間が、買い物や通行のためだけではなく、人が集まって楽しむ場所になっていました。

尼崎市の案内によると、駅北側の出屋敷駅北緑地は2022年7月にリニューアルされました。市は、休憩場所や遊び場としてのにぎわいを駅周辺へ広げ、地域全体の活性化につなげることを目指しています。

子どものころは、出屋敷付近に踏切があった

現在の出屋敷駅は、高架の上を電車が走っています。

現在の高架駅となった阪神出屋敷駅
現在の阪神出屋敷駅。電車は高架の上を走っています

しかし僕の記憶では、子どものころ、この付近の阪神電車はまだ地上を走っていて、踏切がありました。

阪神尼崎駅はすでに高架駅でした。武庫川駅も川の上にあるため、高い位置にあります。

そのため当時は、阪神尼崎駅から西へ向かう電車が一度地上へ降り、出屋敷付近を通って、武庫川駅へ近づくと再び上がっていく。そんなアップダウンのある線路だったと記憶しています。

高架駅から地上へ降りて、また高いところへ上がる。

子どものころは、それを特別なことだとは思っていませんでした。それが当たり前の阪神電車の風景だったからです。

資料を調べると、記憶と高架化の歴史がつながった

阪神電鉄の資料を調べると、僕の記憶と重なる経緯が見えてきました。

尼崎駅付近が立体化されたのは1964年2月です。一方、武庫川駅から尼崎駅までの区間が立体化されたのは、約30年後の1994年1月。工事により、7か所の踏切が除却対象になりました。

つまり、尼崎駅周辺は先に高架化されましたが、その西側には地上を走る区間が長く残っていました。後になって武庫川駅から尼崎駅までが高架でつながり、出屋敷駅も現在の姿になったのです。

子どものころに見た「いったん地上へ降り、また上がっていく阪神電車」という記憶には、こうした高架化の時期の違いが表れていました。

なお、阪神電鉄の資料では、武庫川駅から尼崎センタープール前駅の間は1970年5月、蓬川付近は1969年8月に立体化されています。区間ごとに高架化された時期が異なるため、当時の線路は現在より複雑な高低差を持っていたことが分かります。

踏切が消えた場所に、人が集まる広場がある

踏切があったころの出屋敷と、高架駅になった現在の出屋敷。駅前の姿は大きく変わりました。

地上を電車が走っていたころには、線路と踏切が街を分ける場所でもあったと思います。現在は電車が高架の上を走り、その足元や駅前の空間を人が歩き、催しを楽しんでいます。

僕が訪れた日、広場には交換する品物が並び、ライブの音が響いていました。

昔の踏切の音を知る場所で、今はギターの音と人の話し声が聞こえる。そう考えると、街は建物や線路が変わるだけではなく、そこで聞こえる音や、人の集まり方まで変わっていくのだと感じます。

写真を残すことで、街の歴史と自分の記憶がつながる

今回の写真は、出屋敷駅前の催しを記録しようと思って撮ったものです。しかし、写真を見返しながら駅の歴史を調べると、子どものころの踏切の記憶までつながってきました。

市議から催しの話を聞かなければ、出屋敷駅前へ行っていなかったかもしれません。写真を撮らなければ、昔の線路のことを思い出さなかったかもしれません。

現在の街を歩くことが、昔の自分に出会うきっかけになる。これも、僕が尼崎を自転車で訪ね、写真を残していく理由の一つです。

出屋敷駅前で見た「あるもんで交換会」は、物を次の人へつなぐ催しでした。そして僕にとっては、現在の駅前から、踏切があったころの街の記憶へつながる催しにもなりました。

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